「壺おじさん」はクソゲーだったのか 登山と哲学と、レベルデザインから見る壺おじ

ゲーム
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2017年12月7日、Steamにてとあるゲームが発売されました。
そのゲームのタイトルは『Getting Over It with Bennett Foddy』。
上半身裸のおじさんが、ハンマー一本を握って黒い壺に入った映像を見たことがありますか?
それがこのゲーム、『Getting Over It with Bennett Foddy』(以下壺おじさん)です。
文字通り、上半身裸にヒゲ・短髪のおじさん(ディオゲネス)が、ハンマー1本で山を進んでいきます。
ディオゲネスの下半身は何故か黒い壺に収まっており、プレイヤーに許されるのはハンマー操作のみ。
あまりの意味不明さに加え、激烈な難易度からクソゲーと称されることがあります。
先日、30時間ほどかかってこのゲームをクリアしたので、感じたことをまとめておきます。

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1)そもそもクソゲーなのか?

クソゲーの定義は色々ありますが、難易度が極端に高いことや操作性が悪いこと、ストーリーがユーザーの理解をはるかに超えてしまうものなど、「プレイするに値しないようなゲーム」が該当するのは間違いありません。
これらの点を踏まえて、私は壺おじさんはクソゲーではないと考えています。
その理由の大きなポイントは、壺おじさんがクリア出来るように作られていることです。
壺おじさんを本当にクソゲーとして作るならば、例えば物理演算をグチャグチャにするとか、ゴール直前に絶対に越えられない障害物を設置するとか、簡単に出来てしまいます。
しかし、このゲームにはそれがありません。
ハンマーの動きはプレイヤーの操作に従順で、同じ動作をすれば同じ動作を返してくれます。
目の前の障害物を理解し、対応した正確な入力をすることで、ディオゲネスは障害を乗り越えてくれるのです。
その正確な入力が難しいとか、失敗したらスタート地点まで戻されるところは確かにクソゲーと言われる要素かもしれませんが…。

2)操作性とレベルデザイン

まず、操作性というか、操作できるものがハンマーしかありません。
プレイヤーに求められるのはただただ正確なハンマーの操作です。
この操作にも付随しますが、このゲームが秀逸であるのは、クリアまで進んでいく上で、レベルデザインがきちんと順番に作られているところです。
障害を乗り越える動作を、平地で挑戦する。
次は同じく障害を乗り越える動作を足場の悪い中で挑戦する。
最後に、障害を乗り越える動作を、失敗したらスタート地点まで戻されてしまう状態で挑戦する。
この段階的なレベルデザインは有名なマリオシリーズでも見ることができます。
壺おじさんは一見めちゃくちゃなゲームに見えますが、チャレンジするプレイヤーに対してはとても紳士なのです。
見た目は確かにめちゃくちゃですが…。
私がクリアするまでに30時間かかったと冒頭で書きましたが、初クリアまでは27時間程度でした。
実際にはゴール直前から何度もスタート地点まで戻されており、最終的にクリア出来た時の経過時間は、スタート地点からゴールまでおよそ4時間でした。
進む道が変わった訳ではなく、ただ私が上手くなっただけです。
ちなみに2回目のクリアはスタートからゴールまで30分でした。
繰り返しますが、このゲームは順番に難しくなっていくように、そしてクリア出来るように作られており、プレイヤーのスキルが確実に反映される仕組みになっているのです。

3)「特定の人を傷つけるゲーム」とは

購入したゲームはプレイするもの、プレイするからにはクリアしたいもの。
プレイヤーは、程度の差はあれど、大体の人がそう考えているはずです。
しかし、壺おじさんのゲーム説明には以下の文章が書かれています。
‘特定の人に向けて、誕生した、ゲーム。
特定の人を、傷つけるために。’
このゲームは早くクリアしようとか、焦って進もうとすると、簡単に落ちてしまうようなステージの作りになっています。
やっと進めた障害から落ちて、また障害の場所まで戻って、同じ障害に挑戦して…その繰り返しです。
繰り返しの中で、プレイヤーは障害に対しての自分なりのクリア方法を見出します。
それが正しければ次に進めるでしょうし、その次の障害もすんなりクリア出来るかも知れません。
けれど、もし偶然に頼って障害を越えてしまったら?
次に同じような障害にぶつかった時、真っ逆さまに落ちて行くでしょう。
このゲームは常にプレイヤーの成長を促しています。
作者にとって傷つけたい「特定の人」は、このゲームを表面的に、それこそ、ただ「クソゲー」と言いたかった誰かなのではないかと私は感じました。

4)人は何故登るのか 登山と人生とまとめ

壺おじさんをプレイすることは、よく登山に例えられます。
実際、ストーリーはディオゲネスが山(その他家具やら氷壁やら蛇やら)を登るだけです。
しかし、ここで言う「登山」はただゲームをプレイすることと同義ではないように思えます。
恐らく登山とは…大いなる困難や難題に対して自分なりにルートを作り、解決していくことそのものを指しているのでしょう。
ゲームの紹介文章にも、壺おじさんがオマージュしたゲーム作品の作者Jazzuoの名言の引用として
’「登山という行為は、人生の歩み方によく似ている。覚え、うまくやること’
とあります。
そう、まさに登山とは人生そのもの。
進み、落ち、また戻り、試み、進むべき道を見定め、そして踏破するもの。
恐らく大半の人には「こいつは一体何を言っているのか?」と思われるでしょう。
しかし少しでも興味のある顔をした人を見つけたなら、私は迷いなくこのゲームを差し出しましょう。
そして苦しめ。
お前も、苦しめ。
※私はこのゲームをクソゲーとは言いませんが、苦行であることは大いに認めます。